Nao • 5月 17, 2015開港広場に地球儀の形をした日米和親条約調印の石碑が建っています。説明文⇒『安政元年(1854年)2月から3月にかけて、日米代表が横浜村の海岸で会見、和親条約を結んだ。これは、神奈川条約ともいわれ、日本の開国を促し、本市の誕生の遠因ともなった。歴史的舞台となった応接所のあとは、現在の神奈川県庁の付近である。』
Nao • 7月 8, 2017横浜市地域史跡。横浜開港資料館の中庭に立つ大きな楠は、樹齢300年とも言われる巨木。1923年の関東大震災にて一度焼失するも、根の一部が生きていてそこから復活を遂げ現在の雄姿を見せています。ありあけ本舗ハーバーズムーンの店舗入り口にはこの玉楠をモチーフにしたモニュメントが飾られています。
Rue. S. • 4月 10, 20211882 年、当時の農商務司法大臣である金子堅太郎の息子が日本人として葉山で初めてヨットを楽しんだことが「日本ヨット発祥」の由来。よく見ると石碑の形がヨットの帆。
Massara Nati …. • 9月 3, 2022現在伊東大川とも呼ばれる松川の河口はかつては港として栄え、造船としても有名だったようです。オランダ船リーフデ号の航海長として東洋探検に出航し、嵐のために現在の大分県臼杵市黒島沖に漂着した英国人ウイリアム・アダムス(その後の日本名:三浦按針)、徳川家康に拝謁ののち外交顧問として重用されることになり、海外との交易を進めるため家康の命で二艘の洋式帆船を建造した場所です。
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